岩本徹三と零戦-ラバウル航空隊の誇りと不屈の闘志(:歴史街道 2009年8月号)-を購入しました。
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岩本徹三と零戦-ラバウル航空隊の誇りと不屈の闘志(:歴史街道 2009年8月号)-を購入しました。

岩本徹三と零戦-ラバウル航空隊の誇りと不屈の闘志 歴史街道 2009年8月号(PHP研究所)



歴史街道8月号にて岩本徹三さんの特集が組まれていたので、早速購入してみました。
岩本徹三と言われても、ピンと来ない方が多いのではないでしょうか?
この方は第二次世界大戦中、日本軍で唯一撃墜数200機を超えた方です。

戦歴は凄まじく、真珠湾攻撃に空母「瑞鶴」の直護機として参加。さらにインド洋作戦、
珊瑚海海戦、ラバウル航空戦、台湾沖航空戦、フィリピン戦さらには戦艦大和沈没後の
米軍機掃討戦(※注意1)に参加したりもしている、エース中のエースです。

同じく日本海軍撃墜王の坂井三郎さん(撃墜数62機)と知名度を比べると、世間的にはあ
まり知られていませんが、坂井三郎さんが負傷の為に一時期戦場を、離れていたのに対し、
岩本氏はありとあらゆる戦場に趣き、戦果を挙げ続けていたことが特徴的とも言えます。

(勿論、坂井三郎さんは戦争中に僚機撃墜無しという偉業を達成しています。部下として
ついて行くならこの方以上の人はいないでしょう。)

一般にエースパイロットと呼ばれる方は個性が強く、戦争終了後でもドイツ軍のハルト
マンや、ルーデル、日本軍では坂井三郎さんなどは自伝を出版したり、講演会などに招
かれたりなど精力的に活動する機会を得ていましたが、岩本氏の場合は戦後は静かに暮
らし、1955年に39歳の若さで亡くなってしまいました。

その為、資料が少なく戦後もメディアで取り上げられる機会がありませんでしたが、
最近になって自筆ノートなどの新資料の公開などで、メディアへの露出機会が多くなっ
て来ました。

私はこの方の功績からすると、もっと評価されるべき方だと思います。
今後も新たな資料の発掘によって各メディアで取り上げられることを祈っています。

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※1 戦艦大和沈没後に戦場に滞在していた米軍機を岩本氏はこの時3機撃墜しています。
   その中の一機は大和の攻撃から沈没までの流れを撮影していた、動画カラーフィ
   ルム
を積んでいた記録機とも言われています。

   うわあ、なんという勿体無い!
   
   (一説には撮影に夢中になりすぎて、大和沈没の際の爆発に巻き込まれた、という
   話も残っています。いずれにせよ真相は海底に沈んだまま、ということになります。)


↓参考動画 激闘 珊瑚海海戦 岩本徹三空戦録 作者は栃林秀氏。
 
  ファンの方が作ったMAD動画で、エースコンバットゼロのBGMがついており、
 私はサントラを注文してしまいました。
 (※以前削除されたMAD動画の転載ですが。 ) 
 
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[ 2009/08/03 01:43 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

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