ドイツ軍8輪重装甲車 Sdkfz232【1/35】








ドイツ軍8輪重装甲車 Sdkfz232【1/35】

ドイツ軍8輪重装甲車 Sdkfz232【1/35】
【機体解説】
第2次世界大戦の口火となったドイツとポーランドの戦は、ドイツ機甲部隊の縦横無尽の活躍によって、戦前の予想を大きくくつがえし、たった4週間の戦闘でドイツ軍の一方的な勝利に終ってしまいました。 世界の人々は、この大勝利の原動力となったドイツ機甲部隊の威力に目をみはりました。
それは、第一次世界大戦に敗れて、戦車はもちろん装甲車まで使用を禁止されていたドイツ陸軍が、最新式の装備を持った機甲部隊を率きいて、不死鳥のごとく再登場してきたことに対する驚異でもあったのです。

中でも、機甲部隊の先頭を切って突進したオートバイ歩兵部隊と、それを支援する装甲車の快速ぶりはひときわ目だちました。そして、これら部隊の属するドイツ軍偵察大隊の中心が、独特の形態をもった8輪重装甲車だったのです。しかし、この優美で快速を誇る重装甲車が花々しく活躍した影には、ベルサイユ条約によって装甲車の製造さえ禁止されていたドイツ軍の、永年にわたるひそかな開発の苦心が秘められていたのです。

 1920年代初めのドイツは、陸軍の機械化などまだ海のものとも山のものともわからない時代でした。この頃のドイツは、警察だけが装甲車の使用を許されていたからです。しかし、ドイツ陸軍兵器局は、1926年、警察用という名目で、警察用の自動車生産をしていた3社のメーカーに対し、ひそかに14項目からなる仕様書を渡して、8輪および10輪の本格的な装甲車用シャーシの開発を依頼したのでした。

ドイツ軍8輪重装甲車 Sdkfz232【1/35】

 この仕様書にもとずいた試作車は1929年にすべて完成しました。ダイムラーベンツ社はF・ポルシエ博士を中心にして自信に満ちた8輪車を作り、マルギウス社は同様に8輪車で対抗しました。一方、ビーシンク社は10輪車を手がけていたのです。
 3社の試作車は前と後に運転席を持った4軸又は5軸の金輪駆動方式で、100キロの時速で走行できる安定したサスペンションと強力なシャーシフレームを持った車輛でした。

しかし、国際連盟軍備監視委員会の厳しい目を逃れるため、後部運転席を取りはずしたり、装甲板の上にコルクを張ったりしなければなりませんでした。
 この試作車は、各社で簡単なテストを受けた後、ドイツ陸軍のクムメンスドルフとヴェーンドルフ試験場に持ち込まれました。そして、技師たちの手によって十分な試走がくり返されたのです。 こうしてテストされた車輛は軍に納入され、更に各部品の耐久テストの名目で、この頃ロシヤ東部のカザンにあったドイツ軍兵器開発局試験場に送られることになるのです。 ここでは、各部品に至るまでの細かいテストと実戦さながらの野外実験が待っていたのです。

 1929年10月、突如としてアメリカに始まった大恐慌の嵐は、ドイツをも襲いました。 このため、十分にテストされた車輛は、ベルサイユ条約と予算大削減の挾みうちに合って、設計図のままデーターとともに資料庫にしまい込まれる運命となるのでした。
 しかし、ヒトラーがドイツの政権をにぎり、ドイツが国際連盟を脱退した1933年からドイツ軍の軍備は急速に拡大しました。そして図面のまま眠っていた8輪装甲車の計画も日の目をみることになるのです。

ドイツ軍8輪重装甲車 Sdkfz232【1/35】
 1934年、ドイツ軍兵器局はドイツ陸軍標準戦闘車輛生産計画の一環として、偵察部隊用8輪重装甲車の開発を決定し、正式にビーシンク社に対しシャーシの設計を依頼したのです。 ピーシンク社は、生産コストの高いことから自社の10輔車計画を断念したとはいえ、1920年代から苦心して築き上げてきた経験と、ペンツ社、マルギウズ社の貴重なデーターを参考にしながら、更に新しい8輪車用シャーシの開発に当りました。こうして完成したシャーシが“GS型”とよばれる8輪装甲車用の優秀なシャーシなのです。

GS型シャーシは、長い板バネで2輪づつ縦に連結した8輔独立懸架方式を採用し、単純で頑丈な直線シャーシ、フレームを中心にまとめられていました。駆動方式は金輪駆動で、シャーシのほぼ中央に前後進各3段のミッションが置かれ、前と後の両運転席から操縦できるようになっています。エンジンはビーシンク社の“L8V”型150馬力(後に180馬力)ガソリンエンジンで、シャーシ後部に搭載されました。最高時速は100キロとなっています。

 装甲板に包まれた車体の開発は、すでに6輪装甲車で経験のあったドイッチエ・ヴェルケ社のキール工場が担当しました。車体の形状は、被弾経始を十分に考慮したドイツ軍独特の直線的で優美な姿となり、2輔づつまとめた大型のフェンダーで全体を力強くひきしめた形になっています。装甲は前面が14.5ミリ最後の量産型のみ30ミリ、側面が8ミり上面が5ミりで、装甲からみると小銃弾を防御する程度の軽装甲となっていました。

ドイツ軍8輪重装甲車 Sdkfz232【1/35】
 武装は、旋回砲塔に20ミリ機関砲(KWK-30後に38) 1門と機関銃(MG-34)一斑を同軸に装備しました。 8輪重装甲車は1937年より生産が開始されましたが、車体の艤装と武装の変化によって、次の4種類の車輛が製造されました。

1)(Sd. Kfz 231-8Rad)
2)(Sd.Kfz 232-8Rad)無線装置付
3)( Sd. Kfz 233-8Rad)75ミリ砲付
4)装甲無線車(Sd. Kfz 263-8Rad)
 
 無線装置を装備した8輪重装甲車(Sd. Kfz232)は師団レベルの通信用無線装置(FU-11後にFU-12)を装備したため、車体の上に大きなフレーム状のアンテナが付けられています。FU-11無線装置は使用範囲50キロ、100ワットの強力な中波送信機と受信機およびレシーバー、電源などの附属品からなる秀れた無線装置でした。このほか中隊レベルの無線電話も、戦車と同じように付けられていました。

 8輪重装甲車は1938年より6輪装甲車にかわって、戦車師団、軽師団および歩兵師団の偵察大隊に配属されはじめました。そして、“師団の目"となり“指揮官の目"となって活躍することiこなるのです。
 
 フレーム、アンテナつき8輪重装甲車( Sd. Kf z232)は、乗員が4名からなり、車長と砲手が砲塔内に、他の2名はそれぞれ前と後の操縦席が定位置となっていました。しかし、20ミリ機関砲を装備した2名用砲塔は狭く、その上FU-11無線装置がかなりのスペースを取るため操作上の無理がめだちました。 このため、この車種の生産は1940年5月まででうち切られ、無線連絡の任務は無砲塔型の装甲無線車(Sd. Kfz 263)に除々に移されてゆくことになるのです。

 実戦での8輪重装甲車は、快速と路外走行性能の良さでは抜群の成績を残しましたが、車高の高いことと装甲の薄いことが欠点になっていました。ドイツ軍はこの対策として、急いで車体前面に約8ミリの装甲板をとりつけましたが、結果的には十分ではありませんでした。
 8輪重装甲車は、4車種を含めて1937年から量産に入り、1942年1月、最後の装甲無線車が工場を離れるまで、6年間にわたって1、235台製造されました。そして、この車種の生産停止とともに、ドイツ軍偵察大隊の主役は、より強力な装甲と砲を備えた新しい8輪重装甲車(Sd. Kfz-234)の時代に移って行くことになるのです。

(キット説明書より)

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