T34/76戦車 1943年生産型【1/35】
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T34/76戦車 1943年生産型【1/35】

ソビエト軍 T34/76戦車 1943年生産型【1/35】
【機体解説】
1942年11月、ソ運第5戦車軍に属するT-34戦車の大群が、スターリングラードで激戦を続けているドイツ第6軍の死命を制するかのように、うなりを上げて南下しつづけていた頃、この戦場から逞か東方、ウラル地方、チェリヤービンスクのキーロフ戦車工場では、一台の新型T-34戦車が、今しも労働者たちの拍手の中をテスト走行に出発しようとしていた。
新型戦車は、このキーロフエ場で大量生産されているT-34とくらべると、外観だけでも多少の変化が見られた。一番の特長は生産型の平べったい砲塔と違って、背が高くスマー卜な六角形砲塔を乗せていたことであった。

その姿は、頭を低くして敵の攻勢を避けていた時代が終り、立ち上って反撃に移る機会が到来したことを示すかのようであった。病没したコーシキン技師が心血をそそいだT-34は、彼のなきあとモロゾフ・クチエレンコ技師たちの手を経て、1942年夏頃から若いクリロフ技師に引継がれ、更に改良が加えられていた。クリロフ技師を中心としたT-34改良チームは、前線からもたらされる戦闘の模様と戦車兵たちの生の体験や要望を十分に聴取してT-34の重点的改造に当った。

戦車兵たちは、T-34の装甲については、ほとんど不満をもらす者はなかった。そして、強力な76.2ミリ砲と、破弾しても火災や爆発することのないディーゼルエンジンを称賛したのだった。
彼等の多くは、もっと弾薬と燃料を積めるようにしてほしいと要求した。クリロフ技師は、当然のことながら戦訓を取り入れてT-34を改良する一方、この戦車を量産するために、改めて戦車全体の構造を見直す方法をとることにした。

ソビエト軍 T34/76戦車 1943年生産型【1/35】
車体は自動電気溶接を大巾に取り入れたブロック工法を採用して、流れ作業の中では半完成の車体ブロックを組立てるだけにし、作業工程をできるかぎり滅した。この工法は、後に戦場で披弾し放棄されたT-34戦車の修理に大きな効果を発揮することになるのである。
T-34の心臓ともいうべきV2型ディーゼルエンジンも改良が加えられた。 このエンジンは1935年に完成してから、すでに7年目となり信頼性は十分であったが、苛酷な戦場で極限までパワーを発揮させると多少の問題を生じた。T-34改良チームは、この点を細かく分析した結束、ほとんどのエンジントラブルは、トランスミッションと効果不十分なエア-クリーナーにあることを突き止めた。

エアークリーナーは直ちに改良されて、2個のちりエジェクター(放出装置)と集塵器およびエアーフィルターを併用した2段浄化式となった。又、T-34の一つの欠点であった、トランスミッションは、単純化させることを止めて、西欧式の機械的なミッションに改良された。
そして4段ミッションは1段増えて5段ミッションとなった。この結果、T-34はミッションの切換えが楽になり、操縦性が良くなるとともに、牽引性能も向上したのである。

ソビエト軍 T34/76戦車 1943年生産型【1/35】
T-34改良チームが一番力を入れたのは、新型砲塔であった。 1942年生産型の鋳鋼製砲塔は高さが低すぎて、2名用砲塔としても居住性が悪く、その上主砲の伏角がわずか3度しかなかったため、登坂中に前方の敵を射撃することかできなかった。又、遠距離から、低い姿勢で砲を構えたドイツ軍対戦車砲を射撃することすら困難となっていた。クリロフ技師は、T-34戦車の低姿勢なシルエットをあまり変えることなく、これらの欠点の改良に当った。
まず、製造力法を鋳鋼砲塔方式から、大型プレスで型抜かれた鋼板の自動電気熔接方式に改めた。

六角形の大型砲塔は、威力ある41.2口径76.2ミリ砲の操作を楽にし、砲の最大伏角を5度にまで上げることができた。又、KV-I重戦車に使用されたエンジン部品をはじめとし、小さなビスにいたるまでその共通性をはかり、戦場での修理交換を容易にしたのである。

ソビエト軍 T34/76戦車 1943年生産型【1/35】
なを、1942年生産型のゴム枠(タイヤ)付きロードホイルはゴム資材不足からこれに変って新たに鋳鋼製ホイルが登場し、この新型砲塔をのせた車体に多数使用された。従来のT-34で悪評の高かった大型車長用ハッチは、円形ハッチに換えられた。このハッチは更に改良が加えられ、1943年夏頃から生産されたT一34には新型のコマンダーキューポラが付けられた。 このキューポラは当時ドイツ軍4号戦車が使用していた防弾ガラス入り、シャッター式のものと較べると、薄いスリット式防弾ガラスの付いた簡単なものであった。
ドイツ軍兵士たちは、このT-34戦車を「ミッキーマウス」と呼んだ。開いた2つのハッチのシルエットが、アメリカ漫画のミッキーマウスの顔に似ていたからである。実戦の経験から不必要なものは廃止された。砲塔側面のピストルポートと大型の観察窓がそれである。
しかし硯視孔だけは残されて薄いスリット型となった。このため背の高い砲塔はすっきりしてスマートになった。

ソビエト軍 T34/76戦車 1943年生産型【1/35】
改良され標準装備が追加されると、T-34も当然のことながら重量の増加は避けられなかった。
1942年生産型の重量は28トンであったが1943年生産型となると重量は30.9トンに増加した。
しかし、天性の高性能はそのまま、保たれていた。それを戦車の出力重量比(馬力/重量)で
当時の各国主力戦車と比較してみれば次のとうりである。
ドイツ軍の4号F型は13.6HP/t、ディーゼルエンジン搭載のアメリカ製M3A3戦車は7 .6 H P/tであり、T-34は16.3HP/tであった。
このことを見ても、この戦車がいかに運動性能にすぐれていたか理解できるであろう。
この新型T-34戦車は改造された年度をとって一般にはT-34/76戦車1943年型と呼ばれている。1943年型T-34戦車は、その年夏、ドイツ軍最後の大作戦「クルクス作戦」において、ドイツ軍の新鋭戦車「パンテール」「ティーゲル」などを迎え撃って激烈な戦車戦を展開するのである。
特にソ連第5戦車軍に属する第181親衛戦車旅団のT-34戦車1943年型はプロホロスカの戦場においてドイツの最新鋭であったSS戦車師団「アドルフ・ヒトラー」および「ダス・ライヒ」のティーゲル戦車と第2次世界大戦史上最大の戦車戦を展開するのである。
そしてT-34戦車1942年型を「スターリングラード」と呼ぶとすれば、1943年型は「クルスク」と呼ぶにふさわしい優秀な戦車であった。

キット説明書より引用


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[ 2010/11/28 23:38 ] 模型・プラモ | TB(0) | CM(0)

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